部内のミーティングで決定されたことには、“「卓球部の活動を通して成長したこと&この後どんな人間になりたいか」をテーマとして、自己の反省の意味を込めてブログを書いてください”とのことだそうですから、まずは、前者の「卓球部の活動を通して成長したこと」について考えてみます。
大学での部活と高校での部活の比較を用いて考えるのも、前に書いた人が既に用いているように良い方法だと思います。しかし私には、部活そのものの違いより、当たり前といえばそうですが、そもそも大学生活と高校生活が既に異なる、ということからくる、高校と大学それぞれにおける部活の立ち位置の違い、の方が大きく感じられるのです。
私は中学の頃から部活で卓球に触れ、高校も卓球部に所属していました。当たり前のことではありますが、中学や高校のクラスでは、全員が同じ授業をとり、同じ時間に同じ教室で昼食を取ります。勿論、文理選択や、音美選択の違いによって私とは異なる授業をとる同級生がいる、ということはありますが、そのような選択はクラスをせいぜい二分するにすぎず、私と時間割を共有する同級生はそれでもまだたくさんいました。また、違う選択授業を受けている同級生についても、選択ではない授業は勿論私は彼らと共に受けましたし、昼食や、学校行事なども共に行いました。進級する際にクラス分けによっていままでの同級生と違うクラスになってしまっても、同時にまた時間割を共有する新しい同級生を得ることができました。同じ時間割を共有する生徒の間では、自然と人間関係が構築され、仲が深まって行きます。高校での部活は学年の違う学生との人間関係を構築する手助けとなりましたが、そうでなくても高校では自然とそれなりの数の人間関係は持てていました。
そこへくると、個人の性格にもよるのでしょうが、大学での人間関係というものは、少なく、一つ一つのものも希薄になりがちです。数千人の学生がこの大学に在籍していようとも、それぞれの学生はそれぞれの時間割で動いており、私と全く同じ時間割を持っている人はいないでしょう。同期の同語科の人であれば私のそれにそれなりに近い時間割を持っている人もいるでしょうが、ドイツ語科のような大語科では授業のそれぞれにクラス分けがあることを考えれば、そこまで私は彼らと頻繁に顔を合わせるといったものでもありません。高校では昼食や掃除や、学校行事に部活と、授業以外のことも一緒に行う同級生がいましたが、大学では、授業以外のところでは、高校のそれよりは頻度としては少ない行事と、部活があるのみです。そういう環境のなかで部活は、人間関係を築くことのできるよい機会だと言えます。
こういったことを踏まえれば、私はこの部活のおかげで、より厳密には、部活で築くことのできた人間関係のおかげで、非常に助けられてきました。卓球の技術は勿論ですが、大学や、大学周辺での生活のこと、勉強について、授業についてなど、高校では同級生とお互いに助け合ってきたことを、大学ではそれに新たに大学でこそ発生する問題も加えて、部活の方々に助けていただき、教えていただきました。卓球部の皆さんに教えていただいたことを吸収して、自分の力に変えていくこと、これが私の考える卓球部の活動を通しての成長なのだと思います。
これに続いて、二つ目のテーマ「この後どんな人間になりたいか」についても考えます。
前述のように、私にとっての大学の部活とは、“定期的に人と会うことによってさまざまな事を教えていただき、それらを自らの能力、知識にすべく学んで行く場”です。何かを教えていただける、ということは非常に有益なことだと私は考えています。と、なれば考えることは、“この有益な場を少しでも続けていけるようにしよう”ということです。つまり、自分からも自分なりの方法で皆さんと共有できる知識は共有していくこと、特に後輩が入ってきてもはや最年少ではない今となっては、私が先輩方にしていただいたことを後輩に受け継いでいくことのできる、そのような人間になれればと考えています。
2年 有田
大学での部活と高校での部活の比較を用いて考えるのも、前に書いた人が既に用いているように良い方法だと思います。しかし私には、部活そのものの違いより、当たり前といえばそうですが、そもそも大学生活と高校生活が既に異なる、ということからくる、高校と大学それぞれにおける部活の立ち位置の違い、の方が大きく感じられるのです。
私は中学の頃から部活で卓球に触れ、高校も卓球部に所属していました。当たり前のことではありますが、中学や高校のクラスでは、全員が同じ授業をとり、同じ時間に同じ教室で昼食を取ります。勿論、文理選択や、音美選択の違いによって私とは異なる授業をとる同級生がいる、ということはありますが、そのような選択はクラスをせいぜい二分するにすぎず、私と時間割を共有する同級生はそれでもまだたくさんいました。また、違う選択授業を受けている同級生についても、選択ではない授業は勿論私は彼らと共に受けましたし、昼食や、学校行事なども共に行いました。進級する際にクラス分けによっていままでの同級生と違うクラスになってしまっても、同時にまた時間割を共有する新しい同級生を得ることができました。同じ時間割を共有する生徒の間では、自然と人間関係が構築され、仲が深まって行きます。高校での部活は学年の違う学生との人間関係を構築する手助けとなりましたが、そうでなくても高校では自然とそれなりの数の人間関係は持てていました。
そこへくると、個人の性格にもよるのでしょうが、大学での人間関係というものは、少なく、一つ一つのものも希薄になりがちです。数千人の学生がこの大学に在籍していようとも、それぞれの学生はそれぞれの時間割で動いており、私と全く同じ時間割を持っている人はいないでしょう。同期の同語科の人であれば私のそれにそれなりに近い時間割を持っている人もいるでしょうが、ドイツ語科のような大語科では授業のそれぞれにクラス分けがあることを考えれば、そこまで私は彼らと頻繁に顔を合わせるといったものでもありません。高校では昼食や掃除や、学校行事に部活と、授業以外のことも一緒に行う同級生がいましたが、大学では、授業以外のところでは、高校のそれよりは頻度としては少ない行事と、部活があるのみです。そういう環境のなかで部活は、人間関係を築くことのできるよい機会だと言えます。
こういったことを踏まえれば、私はこの部活のおかげで、より厳密には、部活で築くことのできた人間関係のおかげで、非常に助けられてきました。卓球の技術は勿論ですが、大学や、大学周辺での生活のこと、勉強について、授業についてなど、高校では同級生とお互いに助け合ってきたことを、大学ではそれに新たに大学でこそ発生する問題も加えて、部活の方々に助けていただき、教えていただきました。卓球部の皆さんに教えていただいたことを吸収して、自分の力に変えていくこと、これが私の考える卓球部の活動を通しての成長なのだと思います。
これに続いて、二つ目のテーマ「この後どんな人間になりたいか」についても考えます。
前述のように、私にとっての大学の部活とは、“定期的に人と会うことによってさまざまな事を教えていただき、それらを自らの能力、知識にすべく学んで行く場”です。何かを教えていただける、ということは非常に有益なことだと私は考えています。と、なれば考えることは、“この有益な場を少しでも続けていけるようにしよう”ということです。つまり、自分からも自分なりの方法で皆さんと共有できる知識は共有していくこと、特に後輩が入ってきてもはや最年少ではない今となっては、私が先輩方にしていただいたことを後輩に受け継いでいくことのできる、そのような人間になれればと考えています。
2年 有田