前回の記事があまりにも素晴らしすぎて本当にこんな駄文載せていいのか?とか思っています、2年の溝端紀子です。このブログのテーマが今まで部活を通して成長したこと・気づいたことを考え、これからにつなげようみたいなやつなんですが、素晴らしい文章なんて書ける気がしません。いつまでたっても安定の低クオリティ。タイトルが真面目じゃないから記事の内容もなんだか少し抜けている。
今までを振り返るうえで、短いけれどもこの卓球部に入ってからの心境の変化や気づいたことなどを書いていきたいという偏差値50の考えにしか至らなかった。高校時代地区大会で引退をし、号泣しながらした「大学でも卓球部入る」という黒歴史宣言の通りに入部した後はいろいろと衝撃を受けた。
一つ目。ミーティングが大会終わった後とかに頻繁にあること。高校時代も確かにミーティングはあったけれど、それは試合のビデオを延々と見せられてここが悪いよと指摘してもらうもの。3年になったときに1年の最初の大会を見せられたのはもはや罰ゲームと言ってもいい。閑話休題。しかし、大学の部活では自分でどのプレーが悪かったかしっかり反省し、それを改善するためにどのような練習をしなければいけないのかまで考えないといけない。正直言ってこれはかなりキツかった。反省なんて天の川を構成している星の数ほどあるというのにうまく言語化できず、結局出てくるのが擬音語、みたいなこともしょっちゅうあったため、最初のほうは当たり障りのない言葉を並べるだけになっていた。また、高校時代練習で地球儀やらフリスビーやらを使ったり、最初に教わったサーブが巻き込みサーブだったり、思い描いていた練習方法の「常識」をひっくり返して踏みつぶしたようなものだらけだった私には何がいい練習なのかがまったくわからなかった。今では同期や先輩方の練習を見て「あ、こんな練習方法もあるのか」と学べている、と信じたい。
二つ目。え、何ここ、強い選手がゴロゴロいる。そりゃそうだ。大学行ってまで卓球するなんてよほどの熱意がないとできないことなのだから。攻撃力だけは悪い意味で明後日の方向に振り切れているが守備はからっきし。それなのに負けず嫌いな私は最初のうちはひどく戸惑った。勝ちたい、けど攻撃のうまさが段違い。やられたくないというみみっちいプライドで合っていないのに守備的になることが多くあった。自分とは世界が違う、いやむしろこれが普通なのか、今のプレースタイルのままでいいのか、など悩みに悩んだ。一度かつての顧問に相談すれば、「楽しけりゃいいんじゃないの」という返事。その結果、別によくない?という境地に至る。そう、結局どこまでいっても私の中身のお気楽能天気が急に慎重極限値まで達するわけでもない。そもそも自分の頭だって高校時代の指導法でゴリゴリに凝り固まっているじゃないか、もっと柔軟に行こうよと考えるようになった、というのが最近の話。
今までを振り返り、そういえば今までの卓球人生で「教える」ことが少なかったなと思った。というのは部活のミーティングで私とは段違いな高尚な議論を展開しているのを聞いたから。これまでは「自分とはプレースタイルが違う」だの「大した成績も残していない生意気1年が教えるなどおこがましい」だのとにかくいろいろな理由をつけて教えることから目をそらしていた。教えてくれる素晴らしい顧問の先生、OB・OGの方々、頼れる先輩方がいたからそれに甘えてしまっていたというのもある。しかし、教えるということで自分もうまくなるというのはどの授業でも何回も言われてきた事実。私の経験が少なかろうが、試合で勝てなかろうが知ったこっちゃない。その人なりの視点があるのだからそれを大事にしつつ、自分も知識を還元していきたいというのが今後の目標。
ここまでこんな長い駄文を読んでいただきありがとうございました!こんなふざけた文しか書けない人間も卓球部にはいますよ、安心してください。前記事の後がこんなのでよかったのだろうか。そしてなんだか今後このブログで「教える」ということがテーマになっていきそうな予感。
2年 溝端紀子
今までを振り返るうえで、短いけれどもこの卓球部に入ってからの心境の変化や気づいたことなどを書いていきたいという偏差値50の考えにしか至らなかった。高校時代地区大会で引退をし、号泣しながらした「大学でも卓球部入る」という黒歴史宣言の通りに入部した後はいろいろと衝撃を受けた。
一つ目。ミーティングが大会終わった後とかに頻繁にあること。高校時代も確かにミーティングはあったけれど、それは試合のビデオを延々と見せられてここが悪いよと指摘してもらうもの。3年になったときに1年の最初の大会を見せられたのはもはや罰ゲームと言ってもいい。閑話休題。しかし、大学の部活では自分でどのプレーが悪かったかしっかり反省し、それを改善するためにどのような練習をしなければいけないのかまで考えないといけない。正直言ってこれはかなりキツかった。反省なんて天の川を構成している星の数ほどあるというのにうまく言語化できず、結局出てくるのが擬音語、みたいなこともしょっちゅうあったため、最初のほうは当たり障りのない言葉を並べるだけになっていた。また、高校時代練習で地球儀やらフリスビーやらを使ったり、最初に教わったサーブが巻き込みサーブだったり、思い描いていた練習方法の「常識」をひっくり返して踏みつぶしたようなものだらけだった私には何がいい練習なのかがまったくわからなかった。今では同期や先輩方の練習を見て「あ、こんな練習方法もあるのか」と学べている、と信じたい。
二つ目。え、何ここ、強い選手がゴロゴロいる。そりゃそうだ。大学行ってまで卓球するなんてよほどの熱意がないとできないことなのだから。攻撃力だけは悪い意味で明後日の方向に振り切れているが守備はからっきし。それなのに負けず嫌いな私は最初のうちはひどく戸惑った。勝ちたい、けど攻撃のうまさが段違い。やられたくないというみみっちいプライドで合っていないのに守備的になることが多くあった。自分とは世界が違う、いやむしろこれが普通なのか、今のプレースタイルのままでいいのか、など悩みに悩んだ。一度かつての顧問に相談すれば、「楽しけりゃいいんじゃないの」という返事。その結果、別によくない?という境地に至る。そう、結局どこまでいっても私の中身のお気楽能天気が急に慎重極限値まで達するわけでもない。そもそも自分の頭だって高校時代の指導法でゴリゴリに凝り固まっているじゃないか、もっと柔軟に行こうよと考えるようになった、というのが最近の話。
今までを振り返り、そういえば今までの卓球人生で「教える」ことが少なかったなと思った。というのは部活のミーティングで私とは段違いな高尚な議論を展開しているのを聞いたから。これまでは「自分とはプレースタイルが違う」だの「大した成績も残していない生意気1年が教えるなどおこがましい」だのとにかくいろいろな理由をつけて教えることから目をそらしていた。教えてくれる素晴らしい顧問の先生、OB・OGの方々、頼れる先輩方がいたからそれに甘えてしまっていたというのもある。しかし、教えるということで自分もうまくなるというのはどの授業でも何回も言われてきた事実。私の経験が少なかろうが、試合で勝てなかろうが知ったこっちゃない。その人なりの視点があるのだからそれを大事にしつつ、自分も知識を還元していきたいというのが今後の目標。
ここまでこんな長い駄文を読んでいただきありがとうございました!こんなふざけた文しか書けない人間も卓球部にはいますよ、安心してください。前記事の後がこんなのでよかったのだろうか。そしてなんだか今後このブログで「教える」ということがテーマになっていきそうな予感。
2年 溝端紀子