こんにちは。ポーランド語専攻4年の川上です。今回、ブログ執筆の出番が回ってきて、何を書こうか数日ほど悩みました。専攻語の紹介、おすすめの授業について、留学時のエピソード、卓球の話題にただの日記……。あれはどうかこれはどうかと悩んだ結果、僕はタイトルにもあるように「脱線」について書くことにしました。
僕は4年前の春に言語文化学部ポーランド語専攻の学生になりました。高校時代までは無かった「専攻」という肩書きに浮かれながらも、ポーランドに長期留学するまでの3年半ほどはひたすらにポーランド語と格闘する日々を送っていました。苦しくもそれ以上に楽しく、ポーランド語と実直に向き合った時間は今でも僕にとって大切な財産です。
ところが留学中に最初の脱線をしました。縁あって英日翻訳の仕事を始めることになったのです。留学前の自分がそれを知ったら「ポーランドにいるのに英日翻訳を始めるとは何事だ!」と理不尽なことを言い立てそうですが、結果的にはポズナンでの留学生活、ひいては今につながる学生生活を豊かなものにしてくれています。
間もなくして新型コロナウイルスの波がヨーロッパにまで及び、早期での帰国を余儀なくされました。しかし、同時にそのおかげで次の脱線ができるようになりました。留学中に現地の日本語学科の授業に参加していたことで日本語そのものに興味を持ち、少しだけ日本語の勉強をしました。堂々と胸を張れるほどの成果はありませんが、少なくとも現在の仕事には確実に生きています。
そしてその後、高校時代から興味のあったスポーツビジネスの勉強を始め、今年からはそれに関連した長期のインターンシップにも参加しています。ここまで来るともはやポーランドの「ポ」の字もありませんし、言語の「げ」の字は見る影もありません。とは言いつつも、このおかげでポーランド語の勉強にメリハリが生まれたように感じますし、今せっせと執筆している卒業論文も(自分で言うのも気が引けますが)なかなか興味深いものが書けそうです。
これは一個人の意見になりますが、大学の特性ゆえなのか、あるいはその立地ゆえなのか、東京外大には「外大生は専攻語を極めてこそ」という空気感がなきにしもあらずだと感じます。もちろん悪いことではありませんし、僕も上で書いたように専攻語と向き合ったことで得られたものはたくさんあります(あとは言うまでもなく卒業のためには単位をとらなければなりません)。そして僕自身もそういったある種の「固定観念」の持ち主でした。
しかし、僕が大学4年目にして「脱線」は深みをもたらしてくれると気づきました。ひとつのことから目線をそらすことなく真っ直ぐ向き合うことも美しいですが、いろいろな世界に寄り道するのも同じように美しいと思うようになったのです。僕の場合、ポーランド語から脱線して、英日翻訳や日本語、スポーツビジネスに寄り道した結果、もとのポーランド語がさらに面白くなりました。
ポーランド語専攻にもポーランドではなく別の国の言語に魅せられてその国に留学した先輩がいらっしゃいました。僕の友達には大学を休学してデザインの学校に通った人もいますし、同様に休学してインターンシップに専念するためにわざわざ引っ越しした人も知っています。僕は脱線のすえにもとのレールに戻ってきましたが、脱線した先のレールをそのまま走ってもいいと思います。4年前の僕が浮かれていたような肩書きに必ずしもとらわれる必要はない。今なら、かつての僕は狭い世界しか見えていなかったと言えます。
大学生活に限らず、一本のレールを突き進むもよし、いろんなレールに脱線しながら学ぶもよし。いろんな生き方があることを知ったのが、僕自身が上京して学んだいちばんの成果かもしれません。
僕自身、何かを偉そうに語れる立場でも人間でもありませんが、何かに没頭するのは楽しいということは間違いなく言えます。そしてそれと同じくらい、「脱線」するのも楽しいです。ぜひその良き「脱線」先のレール候補に卓球はいかがでしょうか。経験者はもちろん、初心者の皆さんも大歓迎です。サブアリーナで僕たちと一緒に楽しく真剣に「脱線」しませんか?
僕は4年前の春に言語文化学部ポーランド語専攻の学生になりました。高校時代までは無かった「専攻」という肩書きに浮かれながらも、ポーランドに長期留学するまでの3年半ほどはひたすらにポーランド語と格闘する日々を送っていました。苦しくもそれ以上に楽しく、ポーランド語と実直に向き合った時間は今でも僕にとって大切な財産です。
ところが留学中に最初の脱線をしました。縁あって英日翻訳の仕事を始めることになったのです。留学前の自分がそれを知ったら「ポーランドにいるのに英日翻訳を始めるとは何事だ!」と理不尽なことを言い立てそうですが、結果的にはポズナンでの留学生活、ひいては今につながる学生生活を豊かなものにしてくれています。
間もなくして新型コロナウイルスの波がヨーロッパにまで及び、早期での帰国を余儀なくされました。しかし、同時にそのおかげで次の脱線ができるようになりました。留学中に現地の日本語学科の授業に参加していたことで日本語そのものに興味を持ち、少しだけ日本語の勉強をしました。堂々と胸を張れるほどの成果はありませんが、少なくとも現在の仕事には確実に生きています。
そしてその後、高校時代から興味のあったスポーツビジネスの勉強を始め、今年からはそれに関連した長期のインターンシップにも参加しています。ここまで来るともはやポーランドの「ポ」の字もありませんし、言語の「げ」の字は見る影もありません。とは言いつつも、このおかげでポーランド語の勉強にメリハリが生まれたように感じますし、今せっせと執筆している卒業論文も(自分で言うのも気が引けますが)なかなか興味深いものが書けそうです。
これは一個人の意見になりますが、大学の特性ゆえなのか、あるいはその立地ゆえなのか、東京外大には「外大生は専攻語を極めてこそ」という空気感がなきにしもあらずだと感じます。もちろん悪いことではありませんし、僕も上で書いたように専攻語と向き合ったことで得られたものはたくさんあります(あとは言うまでもなく卒業のためには単位をとらなければなりません)。そして僕自身もそういったある種の「固定観念」の持ち主でした。
しかし、僕が大学4年目にして「脱線」は深みをもたらしてくれると気づきました。ひとつのことから目線をそらすことなく真っ直ぐ向き合うことも美しいですが、いろいろな世界に寄り道するのも同じように美しいと思うようになったのです。僕の場合、ポーランド語から脱線して、英日翻訳や日本語、スポーツビジネスに寄り道した結果、もとのポーランド語がさらに面白くなりました。
ポーランド語専攻にもポーランドではなく別の国の言語に魅せられてその国に留学した先輩がいらっしゃいました。僕の友達には大学を休学してデザインの学校に通った人もいますし、同様に休学してインターンシップに専念するためにわざわざ引っ越しした人も知っています。僕は脱線のすえにもとのレールに戻ってきましたが、脱線した先のレールをそのまま走ってもいいと思います。4年前の僕が浮かれていたような肩書きに必ずしもとらわれる必要はない。今なら、かつての僕は狭い世界しか見えていなかったと言えます。
大学生活に限らず、一本のレールを突き進むもよし、いろんなレールに脱線しながら学ぶもよし。いろんな生き方があることを知ったのが、僕自身が上京して学んだいちばんの成果かもしれません。
僕自身、何かを偉そうに語れる立場でも人間でもありませんが、何かに没頭するのは楽しいということは間違いなく言えます。そしてそれと同じくらい、「脱線」するのも楽しいです。ぜひその良き「脱線」先のレール候補に卓球はいかがでしょうか。経験者はもちろん、初心者の皆さんも大歓迎です。サブアリーナで僕たちと一緒に楽しく真剣に「脱線」しませんか?